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山口地方裁判所徳山支部 平成元年(ワ)6号 判決

原告

山本武夫こと

李兌洙

右訴訟代理人弁護士

大原貞夫

被告

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

五十嵐庸晏

右訴訟代理人弁護士

鳴戸大二

田中登

加藤文郎

参加人

山本月二こと

白月二

右訴訟代理人弁護士

吉川五男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  参加人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告間においては、被告に生じた費用の三分の二と原告に生じた費用を原告の負担とし、参加人と被告間においては、被告に生じた費用の三分の一と参加人に生じた費用を参加人の負担とし、原告と参加人間においては、各自の負担とする。

事実

第一  請求

一  原告の被告に対する請求

1  被告は、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  参加人の原告及び被告に対する請求

1  被告は、参加人に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  参加人及び原告間において、昭和六三年六月一九日、山口県下松市大字西豊井字中市一一一二番地所在の家屋(家屋番号・一一一二番、種類・居宅、構造・木造瓦葺二階建、床面積・一階84.83平方メートル、二階27.07平方メートル)及び同家屋内の家財道具一式が火災で全焼したことにより、原・被告間の火災保険契約(昭和六三年五月二四日締結、火災保険金額は右建物につき一〇〇〇万円、同建物内の家財道具一式につき一〇〇〇万円、火災保険契約期間は昭和六三年五月二四日から昭和六四年五月二四日)に基づき発生した二〇〇〇万円の火災保険金請求権が参加人に帰属することを確認する。

3  第1項につき、仮執行宣言

第二  主張

一  請求原因(原告の主張は、1ないし3、また、参加人の主張は、1、2、4及び5)

1  原告は、昭和六三年五月二四日、被告との間で左記内容の火災保険契約を締結した(以下「本件契約」という。)。

(1) 火災保険の目的物

① 所在 山口県下松市大字西豊井字中市一一一二番地

家屋番号 一一一二番

種類 居宅

構造 木造瓦葺二階建

床面積 一階84.83平方メートル

二階27.07平方メートル(以下、「本件建物」という。)

② 右建物内の家財道具一式

(2) 火災保険金額

右①の建物につき

一〇〇〇万円

右②の家財道具につき

一〇〇〇万円

(3) 保険期間

昭和六三年五月二四日から昭和六四年五月二四日

2  本件建物は、昭和六三年六月一九日午前一時三三分ころ出火し、同建物内の家財道具一式とともに全焼した(以下「本件火災」という。)。

3  よって、原告は、被告に対し、本件契約に基づく火災保険金合計二〇〇〇万円及びこれに対する平成元年二月三日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

4  原告は、平成元年四月一五日、参加人に対し、原告の被告に対する二〇〇〇万円の右火災保険金請求権(遅延損害金を含む。)を譲渡し、被告に対し、平成五年一〇月一三日(本訴第二二回口頭弁論期日)において右債権譲渡の通知をした。

5  よって、参加人は、被告に対し、原告から譲渡を受けた右火災保険金請求権の履行として二〇〇〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、原告に対し、右火災保険金請求権が参加人に帰属することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告)

1 請求原因1の事実は認める。

2 請求原因2の事実中、本件建物と同建物内の家財道具一式が全焼したことは不知、その余の事実は認める。

3 請求原因4の事実中、平成五年一〇月一三日に債権譲渡の通知があったことは認める。

(原告)

請求原因1、2及び4の事実は認める。

三  抗弁

1(1)  本件契約は、住宅火災保険普通保険約款が適用される契約であった。右約款第二条1項(1)号には、保険契約者の故意若しくは重大な過失または法令違反により発生した損害については保険金を支払わない旨の約定があった。

(2) 本件火災は、以下のとおり、保険契約者である原告の故意若しくは重大な過失により発生したもので、被告は、火災保険金の支払を免責される。

2  本件火災は、計画的な放火により発生した。

(1)① 本件火災後、本件建物(平面図は別紙1のとおり。)玄関脇の一〇畳の洋室のピアノとエレクトーンの間の壁際に、立ち消えの蚊取線香があり、その壁際に糸で結ばれたマッチ棒一八本の束があった。この蚊取線香は、二個のティッシュペーパーの箱の間に置かれ、その二個の箱の上には、箱と箱を渡すようにして細長く割った竹が数本置かれていた。さらにその上には、蓋の部分を立てて四隅を糸で止め、多くの穴を開けた段ボール箱(四〇×三〇×高さ五八・センチメートル)が一個置かれ、その中には細長く割った竹で棧をつくり鉱油系の油脂を染み込ませたタオル、ティッシュペーパーなどが入れられていた。

② 右段ボール箱等は、時限発火装置で、糸で結ばれたマッチ棒は蚊取線香の上に置かれ、蚊取線香に点火された後一定時間が経過すると、蚊取線香上のマッチ棒の束に引火し、その火が段ボール箱の底に燃え移り、さらに段ボール箱の中の油脂を染み込ませたティッシュペーパー等に引火し、結果、段ボール箱全体が燃え上がるように仕組まれていた。また、右装置は、蚊取線香の燃焼速度に照らすと、マッチ棒の束を置く位置により蚊取線香に着火してから段ボール箱に燃え移らせるまでの時間を最大六時間三〇分後までにセットが可能であった。

③ 本件火災後、本件建物玄関脇の一〇畳の洋室には、右①の段ボール箱の下からピアノの下を通り部屋の西側壁に沿って鉱油系の油脂を染み込ませた下着・タオルが帯状に延び、北側の7.5畳の和室へと続いていた。また、右①の段ボール箱の下から同室南側開口部に置かれた段ボール箱(この段ボール箱も蓋の部分を立てて四隅を糸で止め、多くの穴を開けたもので、中には細長く割った竹で棧をつくり鉱油系の油脂を染み込ませたティッシュペーパーが解きほぐして箱いっぱいに入れられ、片方の底がティッシュペーパーの箱で持ち上げられていた。)付近までも同様に鉱油系の油脂を染み込ませた下着・タオルが帯状に延びていた。

④ 右は、時限発火装置により発火した火を延焼させるための装置であった。

(2)① 本件火災後、本件建物の7.5畳の和室の床柱から約一五センチメートル東側の板張りの上に、蚊取線香があり、その上には発火したマッチ棒一八本(軸は焼毀していない。)が糸で結ばれて置かれていた。その付近には、焼毀したティッシュペーパーの箱、細長く割った竹一〇本が、その上には焼毀した紙、段ボール類が堆積していた。同所には、コンセントに差し込まれたままで焼毀したヘアードライヤーがあった。また、床の間の東側では、布が帯状に南から北に向かって焼毀していた。

② 右は、(1)同様の時限発火装置と延焼装置がセットされていたものであった。

(3)① 本件火災後、本件建物台所の風呂側壁(これは台所の北側にある六畳洋室入口手前付近)に沿って布類の焼毀物が広く堆積し、焼毀した帯状の下着類が右六畳洋室内に続いていた。堆積していた焼毀物の下には風呂側壁に沿って段ボールの焼き残りがあった。また、その段ボールの東側部分の焼毀が強く、床板が燃え抜けており、この燃え抜けは台所中央にあるテーブル下から台所東側流し台の手前まで続いていた。

② 右は、(1)同様の時限発火装置と延焼装置がセットされていたものであった。

(4) 本件火災後、本件建物台所の食卓の北西部分床にほぼ円形状の燃焼度の極めて高い部分が認められた。同所には、通常、出火原因と考えられるものは存在していなかった。

(5) 捜査をした警察や調査にあたった消防署も、本件火災の原因は電気の漏電、ガス漏れ、火の不始末によるものではないとし、時限発火装置による放火と考えている。

(6) 本件火災は、右(1)ないし(5)に照らすと、本件建物台所食卓付近に設置された(1)同様の時限発火装置により出火し、他に設置されていた時限発火装置や延焼装置も加わって発生したものであった。

3  本件火災は、右2のとおり時限発火装置を使った計画的な放火によるものであったが、外部の者による放火ではなかった。

(1) 本件建物の出入口、窓等のうち、本件火災当時施錠されていなかったのは、一階の六畳洋室の出窓、7.5畳和室の天窓、一〇畳洋室の天窓の三か所であった。いずれの窓も外部から進入した形跡は、足跡、すれ跡ともになかった。右二か所の天窓は、前記の時限発火装置等の材料を運び込むことが不可能なものであった。

(2) 前期の時限発火装置を五個以上と延焼装置をセットするには、段ボール箱五個、竹の棒一〇数本、ティッシュペーパーの箱一〇箱、蚊取線香五巻、蚊取線香立五個、マッチ棒九〇本、加えてタオル、下着が二〇枚以上、鉱油系油脂が必要であった。

しかし、右のような材料は通常の家にはなく、仮に存在しても家人以外の者がその保管場所を全て発見するのは不可能であって、外部の者が侵入して本件家屋内の材料を用いて時限発火装置等をセットして放火したとは経験則上考えられない。特に、侵入後に、前記方法を思い付き実行したとは全く考えられない。

(3) 外部の者が侵入して、前記の時限発火装置を五個以上と延焼装置をセットしたとすれば、その材料を持ち込んでセットしたものと考えられるところ、材料全部を運び込み、セットするには二時間半以上の時間が必要であった。

しかし、外部の者が、いつ発見されるかも知れないという危険を冒してまで、準備に長時間を要する方法を採るメリットはなく、経験則上このような方法を採る可能性はない。

仮に、外部からの侵入者が材料を持ち込みセットしたとしても、出火覚知時間(午前一時三七分)、時限発火装置への着火推定時間(出火の約二時間半前)、時限発火装置等の準備時間(二時間半)を総合すると、その外部からの侵入者は、前日の午後八時半ころから本件建物内で準備にとりかかる必要が生ずることになるが、原告は、本件火災の前日は午後一〇時前に帰宅し、午後一〇時過ぎには電話があって、その後に外出したと説明しており、原告の説明を前提にすれば、原告が本件建物内にいた時間に外部からの侵入者も本件建物内にいて放火の準備をしていたという不自然な結果となる。

(4) 警察は、原告宅に放火をする動機を持つ者の捜査をしたが、そのような者は存在していない。

4  原告及びその家族に関する事情

(1) 動機

① 原告は、徳山市内で運送業に従事していたが、昭和五七年ころ倒産し、その後、金融業と徳山ボートの私設窓口(ノミ行為)の経営をしていたが、昭和六一年二月ころ株式会社藤企画に参画し、藤企画では手形の割引等の金融業や、徳山ボートのノミ行為を業としていた。

② 原告には、本件火災当時、次のとおり債務があったが、これを返済するに足りる収入はなかった。

a 株式会社広島総合銀行(旧・株式会社広島相互銀行)に、元金合計一五九五万五八四五円の債務があり、当時、昭和六三年六月一七日以降の賦払金が滞納となっていた。

b 株式会社アイフルに、二九万円の債務があり、賦払金に滞納があった。

なお、借入日は、昭和六三年四月二〇日であった。

c 日本信販株式会社に、四三万七四〇〇円の債務があり、賦払金に滞納があった。

d 株式会社武富士に、四五万八三四〇円の債務があり、昭和六三年六月七日以降の賦払金に滞納があった。

なお、借入日は、昭和六三年五月一六日であった。

e 国内信販株式会社に、一五五万八二八二円の債務があり、昭和六三年五月二七日分の賦払金が支払われたのは平成元年一一月二七日であった。

f 全日信販株式会社に、一七三万六五二〇円の債務があり、賦払金に滞納があった。

g 共同組合クレジットとくやまに、二八万三一〇五円の債務があり、賦払金に滞納があった。

なお、借入日は、昭和六三年四月二三日であった。

h 山本茂義に、四〇万円の債務があった。

以上合計すると本件火災当時の原告の債務は、二一一一万九四九二円になり、本件火災直前の二か月弱の間に借り入れた金員も一〇四万八三四〇円に達していた(昭和六三年四月二〇日に株式会社アイフルから二九万円を、同月二三日に共同組合クレジットとくやまから三〇万円を、同年五月一六日に株式会社武富士から四五万八三四〇円を、それぞれ借り入れている。)。

i 中国信販株式会社が、本件建物に被担保債権三〇〇万円の抵当権を有している。

③ 本件火災の直前、直後、さらにその後において、原告が徒過した税金及び賦払金の支払期とその金額など

a 昭和六三年五月三一日が納期限の軽自動車税四〇〇〇円

b 昭和六三年五月三一日が納期限の固定資産税二万九五〇〇円

c 昭和六三年六月三〇日が納期限の市県民税一万七一〇〇〇円

d その後の納期限が到来した市県民税、軽自動車税、国保税、固定資産税で納期限が平成元年五月三一日までのもの合計二一万一三〇〇円につき滞納していた。

e 株式会社広島総合銀行に対する昭和六三年六月一七日、同年七月七日、同年八月一〇日の賦払金の支払を徒過した。

f 株式会社福岡シティ銀行に対する昭和六三年六月一七日の賦払金四万五五〇五円の支払を徒過した。

④ 本件火災後の借入状況

原告は、杉山英子から昭和六三年九月六日に、五〇〇万円を借り入れた。

⑤ 原告が参画していた株式会社藤企画の本件火災前後の経営状況

藤企画代表者藤重稔の妻であり、藤企画の後継会社であるヤマダスリーケイ株式会社の本店所在地の土地所有者である藤重英子に対し、昭和六三年五月一七日、日本信販株式会社から債権額八五三万二七三三円とする競売の申立てがなされた。これは、昭和六二年一〇月二七日の賦払金の支払を怠り、期限の利益を喪失したことによるものであった。

⑥ 原告は、本件火災当時、本件建物及びその家財に対して左記のとおり火災保険等の契約を締結し、本件建物とその家財が焼失することで合計二九五三万六〇〇〇円の保険金等が得られる状況にあった(原告方の正味損害額に関する鑑定結果では、本件建物につき一一八六万円、家財につき七四七万六〇〇〇円の合計一九三三万六〇〇〇円と評価されており、これに左記dの一〇二〇万円を合計すると二九五三万六〇〇〇円となる。)。

a 千代田火災海上保険株式会社との間で、本件建物につき、昭和五四年三月一四日、保険金額六〇〇万円、保険期間二〇年の火災保険契約を締結した。

b 被告との間で、請求原因1のとおり本件契約を締結した。

c 日産火災海上保険株式会社との間で、本件建物につき、昭和五四年三月一七日、保険金額四〇〇万円、保険期間二〇年の火災保険契約を締結した。

d 財団法人簡易保険郵便年金加入者協会の災害見舞制度に昭和六二年八月二二日に七〇口分加入し、見舞期間は同月二三日から一年間で、火災による見舞金は最高で一一九〇万円が支払われる約定であった(本件火災では、寄金者の一人である幸祐が罹災当時転出していたので、支払可能な最高額は一〇二〇万円であった。)。

しかも、本件建物とその敷地をそのまま売買する場合と、本件建物が焼失後に売買する場合とを比較すると、前者の場合には、本件建物がほぼ評価の対象とならない(却って、取壊費用がかかる。)。ことは取引実態に照らせば明らかで、そうとすると、後者の場合には受領した保険金額分だけ多くの利益が得られることになる。

⑦ 右①ないし⑥に照らすと、本件火災当時、原告は二〇〇〇万円を超える債務を負担し、またその資金繰りも困難を極めていた状況であった一方、本件建物とその家財道具が焼失することで得られる保険金は合計二九五三万六〇〇〇円で、本件建物に放火して保険金を詐取する動機は十分認められた。

(2) 原告及び参加人の不審、不自然な行動と信用し難い説明

①a 原告は、本件火災当時、本件建物に、参加人である妻山本月二こと白月二、長女明美、二男裕二の三名とともに居住し、長男の幸祐は大阪に居住していたが、本件火災当時、本件建物内には誰もいなかった。

b 原告は、参加人と子供二人(長女と次男)は、長男が一か月程前に怪我をしたのでそれを心配して本件火災の前日である昭和六三年六月一八日、午後三時一三分の新幹線で長男の住む大阪に出掛け、同日は、同人方に宿泊した、同日午後一〇時ころ、参加人が長男のアパート付近の公衆電話から原告に電話した旨説明する。

c しかし、その説明は信用し難い。

長男の部屋は四畳半と狭く、四人が寝泊まりするのは困難であった。

大家は、長男の入居時と同人が交通事故で死亡した時以外は、原告や参加人と会ったことはない、昭和六三年四月に入居以来同年六月ころまでの間に長男が怪我をしたり病気したりしたことはない、また、同月一八日前ころ長男のもとに何人分かの布団等が送られてきたことはない、同日夜、参加人とその子供二人が長男方に宿泊したことはない旨説明し、原告の説明とは大幅に異なる。

徳山駅を午後三時一三分に出発したとしても通常であれば、午後七時三〇分ころには長男のアパートに到着するのであるから、午後一〇時に参加人が電話をする必要はなかった。

長男の部屋には電話があったのであるから、アパートの外の公衆電話から電話する必要はなかった。

② 原告は、普段、玄関前の駐車場に車を玄関に向かって真っすぐ停めていた。

原告は、本件火災の前日夜帰宅後に、その所有する軽四トラックを玄関前に斜めに置き直した。その軽四トラック付近には自転車が三台置かれていた。

③ 原告は、本件火災前日に、飼育していた犬を初めてペットショップ(角谷ドッグセンター)に預けた。

原告は、本件火災の前日から当日にかけて徳山市内におり、犬の面倒を見られないということはなかった。

④a 原告は、本件火災の前日である昭和六三年六月一八日は午後六時ころ帰宅して午後七時ころ外出し、午後九時ころに一度帰宅し、午後一〇時前ころ参加人と電話で話しをして、午後一〇時過ぎに自動車で自宅を出て徳山市内に向かった、そして、女性と待ち合わせのためにスナック「冨久長」に赴き、同所で二、三時間飲酒し、焼き肉屋に寄った後、自宅には家族もおらず帰宅する必要もないと考えて旅館「佐野屋」に宿泊した旨説明する。

b しかし、この行動も不審・不自然であり、その説明も一部信用し難い。

原告は、午後九時ころ帰宅した理由につき、消防署からの質問調書では、参加人から電話があるためと供述し、原告本人尋問の主尋問に対しては、日頃から懇意にしていた女性から待ち合わせの電話があるからと変遷し、その反対尋問に対しては、再び妻から電話があるためと変遷した。

原告は、本件火災前最後に本件建物から出発した時間について、午後一〇時過ぎと説明するが、午後一一時過ぎに、原告方から、自動車のエンジンを掛けて発進する音が聞こえたとの燐家の住人の説明と大きく食い違う。また、原告方からスナック「冨久長」へは、女性との待ち合わせのため赴いた旨説明するが、同スナックの従業員は、原告から、女性との待ち合わせについては何も聞いていない旨説明している。

原告は、同スナックにおいて、その日にしきりに時間を気にしており、何回か従業員に時間を尋ねた。

徳山市内から本件建物まで帰るには、夜間、車で一五分弱程度の時間しかかからず、タクシーを利用してもその料金は二〇〇〇円程で足りた。

⑤ 原告は、本件火災後の昭和六三年六月二二日、社会問題研究会事務所において、六法全書を出して調べものをしていたが、その際、澄出弘に対し「放火は何年か」、「放火の時効は何年か」という質問をした。

⑥ 原告は、本件火災について、警察に対して告訴や被害届けを提出していない。

⑦ 原告及び参加人は、昭和六三年六月二七日から四か月近く桜田内科医院に入院し、簡易保険や生命保険の入院給付金を取得した。

この入院は、検査数値からみてその必要性が認められないものであったうえ、当時は、本件火災に関する捜査が重要な段階に差し掛かっていた時期であって、原告及び参加人の入院は捜査に支障を来すものであった。

⑧ 原告は、原告宅には下松の丸和やマミーなどのスーパーで買い物をした際に入手した段ボール箱があった旨説明するが、本件火災に使用された時限発火装置の段ボール箱は原告宅の近隣の岩崎水道ポンプ店で入手可能な前沢化成工業と久保田鉄工のものであって、スーパーなどでは扱っていない商品が入れられていたものであった。

⑨ 原告は、中倉石油店から、昭和六三年五月に灯油九四リットルを購入し、六月は五月よりその使用量が減るのが普通であるのに同年六月一一日に、灯油一三〇リットルを購入した。この量はバーナータンクのみならず、予備の二〇リットル入りポリ容器三個分まで満たす量であった。

⑩ 原告は、本件建物の近くに墓地があって蚊が多いので、本件建物の各部屋には蚊取線香が一つずつ置いてあり、本件火災当夜も使用していた、家を出る前に蚊取線香の火はつけたままにしていた旨説明するが、近隣の者は、六月中旬ころ蚊取線香はまだ使用しないと説明している。

また、当夜は原告以外に家人が居なかったのであるから各部屋で蚊取線香を焚く必要はなく、全部屋の蚊取線香を焚いたまま外出することはあまりに不自然である。

(3) 原告及び参加人の保険金取得歴

① 原告及び参加人は、昭和五九年九月一一日に交通事故(追突)に遇った。右事故により参加人は、一七二日間の入院と一一日間の通院により、四〇五万五五四〇円の賠償保険金の、原告も、一七二日間の入院と一一日間の通院により、四六六万九九九〇円の賠償保険金の給付を受けた。また、右事故により、原告は、全労済から入院共済金として八一万円の支払を受けた。

右事故による自動車の修理代金は三万六八三〇円であった。

② 原告は、昭和六一年一〇月二九日に交通事故(追突)に遇い、六三日間入院し、四三〇万八八八〇円の賠償保険金を受けた。

右事故により、原告が役員をしていた藤企画の代表者藤重稔も二四一万九〇〇〇円の賠償保険金を受けた。

右事故における自動車の損傷は損傷箇所がわからない程度のものであった。

③ 右①及び②の事故で、原告及び参加人が受け取った賠償保険金(全労済の入院共済金を除く。)は、治療費を除いて六五七万一二五〇円であった。

④ 原告及び参加人は、①、②の事故で入院しながら、度々自宅に帰り、ギプスを外して歩いていた。

⑤ 桜田内科医院への入院については、右(2)⑦記載のとおり。

5  右2ないし4を総合すると、本件火災は原告の故意による放火で発生したものと認められる。

6(1)  (仮に、本件火災が原告の故意によるものではないとしても)

原告は、本件火災前に、本件建物内の各部屋に着火した蚊取線香を放置したまま外出し、その結果、本件火災が発生した。

(2) 右行為は、故意にも匹敵する重大な過失にあたる。

四  抗弁に対する認否と原告及び参加人の主張

1  抗弁に対する原告の認否

(1) 抗弁1(1)の事実は認める。

(2) 抗弁1(2)の事実は否認する。

(3) 抗弁2の頭書部分は否認し、同2(1)①ないし③、同2(2)ないし(6)は知らない。

(4) 抗弁3の事実は知らない。

(5)① 抗弁4(1)①の事実のうち、「昭和五七年ころ倒産」との部分は否認する。

② 同4(1)②の事実のうち、同aの「昭和六三年六月一七日以降の賦払金が滞納」との部分は否認し、同g及びhの事実は否認し、その余は知らない。

③ 同4(1)③の事実のうちe及びfについては知らない。

④ 同4(1)④ないし⑥の事実は知らない。

⑤ 同4(1)⑦は争う。

(6)① 抗弁4(2)①は争う。長男が怪我をして布団や衣類等の血が洗っても取れないと言っていたので母親としては心配して大阪まで出掛けたものである。そして、長男自身は友人宅に宿泊したので、狭くはなく、また、布団は昭和六三年四月に送ってあったものである。さらに、長男の部屋には電話が無かったので、公衆電話から電話したものである。

② 同4(2)②は争う。家の近くに港があり、外国人がよく徘徊しており、これまでにも自転車を三、四台盗まれている。

③ 同4(2)③は争う。

④ 同4(2)④は争う。証言に変遷はない。妻からも女性からも電話があるようになっていた。スナック「冨久長」の者で、原告が、午後一一時ころに来店したと説明している者はいない。また、時計をしており、時間を気にする必要はない。

⑤ 同4(2)⑤の事実は知らない。六法全書を見ることは以前からよくしていた。放火は何年かと言ったのではない。全般的に見ることはある。しかし、その時に見たかどうかは覚えていない。

⑥ 同4(2)⑥の事実は認める。告訴しなくても勝手に調査しているので、告訴の必要はないと思っていた。

⑦ 同4(2)⑦は争う。医師の指示に従っただけである。

⑧ 同4(2)⑧の事実は否認する。段ボール箱の名前等見たことはない。

⑨ 同4(2)⑨は争う。灯油ボイラーは、何時灯油が切れるか分からないので、いつもどおり灯油を購入しただけである。

⑩ 同4(2)⑩は争う。蚊取線香は、四月終わりから五月には使用し始める。

(7)① 抗弁4(3)①は争う。現在でも、原告や参加人は肩や首の調子が悪く悩んでいる。

② 同4(3)②は争う。当該事故を処理した警察官も自動車の状況を見て、これだけのショックならムチ打ち症が出るだろうから直ぐに病院に行きなさいと言った程に自動車は大破した。

③ 同4(3)③の事実は知らない。

④ 同4(3)④の事実は否認する。

⑤ 同4(3)⑤は争う。医師の指示に従っただけである。

(8) 抗弁5は否認ないし争う。

(9) 抗弁6は争う。誰も蚊取線香で出火するとは思わない

2  抗弁に対する参加人の認否

(1) 抗弁1(1)の事実は認める。同1(2)は争う。

(2) 抗弁2の頭書部分は争う。同2(1)ないし(6)の事実は知らない。

(3) 抗弁3の頭書部分は争う。同3(1)ないし(4)の事実は知らない。

(4) 抗弁4(1)の事実は知らない。同4(2)の事実のうち、参加人の行動に関する主張については否認し、その余は知らない。同4(3)の事実は知らない。

(5) 抗弁5及び6は争う。

3  原告及び参加人の主張(アリバイの存在)

(1) 本件火災の発生は、昭和六三年六月一九日午前一時三三分ころで、本件火災の現場で発見された時限発火装置様のものを再現したところ着火から発火までには平均二時間半の時間を要することが判明し、時限発火装置への着火時間は同月一八日午後一一時ころと推定される。

(2) 原告は、昭和六三年六月一八日午後一〇時ころには本件建物を出発し、徳山市内の飲み屋「冨久長」に午後一〇時半ころ到着し、同店で二、三時間飲酒し、その後の食事をして、旅館「佐野屋」に宿泊した。

(3) 以上の次第で、原告にはアリバイがある。

五  原告及び参加人の主張に対する被告の認否

争う。

第三  証拠 本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおり。

理由

第一  請求原因について

一  請求原因1の事実は、原告、参加人及び被告間において争いがない。

二1  請求原因2の事実のうち、本件建物と同建物内の家財道具一式が全焼したことを除いて、原告、参加人及び被告間において争いがない。

2  証拠(甲2、乙5の1及び2、9、14、15、16の1ないし3、106)と右当事者間に争いのない事実によれば、本件建物と同建物内の家財道具一式が、本件火災により全焼したものと認められる。

第二  抗弁について

一  抗弁1(1)の事実については、原告、参加人及び被告間において争いがないので、本件火災が原告の放火により発生したものか否かについて、以下検討する。

二  本件火災が放火によるものか否かについて

1  証拠(乙21の1及び2、27、32、33、78、79、102、103の1及び2、証人山本幸三郎、証人有吉直樹)によれば、抗弁2(1)ないし(4)の事実が認められ(なお、本件建物の平面図は別紙1〔乙27、No.3、建物見取図及び収容物配置図〕参照。玄関脇一〇畳の洋室の状況については、別紙2〔乙27、No.7、延焼媒介物状況詳細図Ⅰ〕参照。7.5畳の和室の状況については、別紙3〔乙27、No.8、延焼媒介物状況詳細図Ⅱ〕参照。台所の状況については、別紙4〔乙27、No.9、延焼媒介物状況詳細図Ⅲ〕参照。)、証拠(乙33、証人山本幸三郎、証人有吉直樹)によれば、本件火災の捜査をした警察や調査にあたった消防署においても、本件火災の原因につき断定はしていないものの、時限発火装置による不審火を最も強く疑い、電器の漏電、ガス漏れ、火の不始末についてはその可能性が薄いと判断していたことが認められる。

2  右1の事実に基づき検討すると、本件火災は、本件建物台所食卓付近に設置された抗弁2(1)に記載したのと同様の時限発火装置により出火し、他に設置されていた時限発火装置や延焼装置の一部もこれに加わって発生したもので、これは何者かの放火によるものと推認するのが相当であり、右判断を左右するに足りる証拠はない。

三  本件火災が原告の放火によるものか否かについて

1  原告の経済状態について

(1) 本件火災当時の原告の稼働状況

証拠(乙25、26、34、50、51、70ないし74、原告本人〔1回、2回〕)によれば、

① 原告は、徳山市内で運送業を営んでいたが、昭和五九年ころこれを手放し、その後、金融業と徳山ボートの私設窓口(ノミ行為)の経営をし、昭和六〇年八月ころ株式会社藤企画(本店・山口県熊毛郡熊毛町大字中村七七七番地二八六。昭和六〇年八月二〇日に株式会社日の出商事から株式会社藤企画に変更した株式会社である。)に参画して取締役に就任し、藤企画では手形の割引等の金融業や、徳山ボートのノミ行為を業としていたこと、

② 右藤企画は、昭和六二年一月二六日、商号がヤマダスリーケイ株式会社に変更となり、役員構成も全面的に変更され、原告は、取締役ではなくなったこと、

③ その後、藤企画当時の代表者藤重稔の妻であり、藤企画の本店所在地であった土地の所有者である藤重英子に対し、昭和六三年五月一七日、日本信販株式会社から債権額八五三万二七三三円とする競売の申立てがなされた(これは、債務者白神義則が昭和六二年一〇月二七日の賦払金の支払を怠り、期限の利益を喪失したことによるものであった。)こと、

④ 原告は、右藤企画が、ヤマダスリーケイ株式会社に変更となり、その取締役を退任してから本件火災当時まで、手形割引等の金融業やボートのノミ行為などをおこなってきたこと、などの事実が認められる。

(2) 本件火災当時の原告の債務の状況

証拠によれば、原告には、本件火災当時、a株式会社広島総合銀行(旧・株式会社広島相互銀行)に元金合計一五九五万五八四五円の債務があり、当時、昭和六三年六月一七日以降の賦払金が滞納となっており(乙28、29)、b株式会社アイフルに二九万円の債務があり(借入日・昭和六三年四月二〇日。乙54、55)、c日本信販株式会社に四三万七四〇〇円の債務があり(乙56、57)、d株式会社武富士に四五万八三四〇円の債務があり(借入日・昭和六三年五月一六日。乙58、59)、e国内信販株式会社にクレジットカードに基づくものとして五九万三五一一円の債務があり、昭和六三年五月二七日以降賦払金の支払はなく(乙60ないし63)、f全日信販株式会社に一七三万六五二〇円の債務があり(乙66、67)、g共同組合クレジットとくやまに二八万三一〇五円の債務があり(借入日は昭和六三年四月二三日で、二回目の返済以後平成元年七月一三日まで返済なし。乙68、69)、h株式会社福岡シティ銀行(旧・株式会社福岡相互銀行)に九一万八一五四円の債務がある(乙60ないし63)という状況にあったことが認められる。

そして、以上合計すると二〇六七万二八七五円となり、また、本件火災直前の二か月弱の間に借り入れた金員も少なくとも一〇四万八三四〇円に達していた(昭和六三年四月二〇日に株式会社アイフルから二九万円以上を、同月二三日に共同組合クレジットとくやまから三〇万円を、同年五月一六日に株式会社武富士から四五万八三四〇円以上を、それぞれ借り入れていた。)。

また、証拠(乙23、24、31)によれば、中国信販株式会社が、本件建物及びその敷地に被担保債権三〇〇万円の抵当権を有していたことが認められる。

(3) 本件火災の直前、直後、さらにその後において、原告が徒過した税金及び賦払金の支払期やその金額など

証拠(乙28ないし30)によれば、抗弁4(1)③aないしeの事実が認められ、証拠(60ないし63)によれば、株式会社福岡シティ銀行(旧・株式会社福岡相互銀行)に対する賦払金については、昭和六三年七月一六日分の賦払金一万二四五〇円の支払を徒過したことが認められる。

(4) 本件火災後の借入状況

証拠(乙24、31)によれば、抗弁4(1)④の事実が認められる。

2  本件火災当時の本件建物等に対する保険契約の締結状況などについて

証拠(乙1ないし4、108の1ないし3、109の1)と当事者間に争いのない事実によれば、原告は、本件火災当時、本件建物及びその家財に対して抗弁4(1)⑥aないしd記載の火災保険等の契約を締結しており、また、右事実と証拠(乙15、16の1ないし3、106)によれば、通常であれば、本件火災(本件建物とその家財が全焼。)により支払われる保険金等の合計額は二九五三万六〇〇〇円(建物等損害調査書では、建物の損害額八三五万八九〇〇円、物品損害調査書によれば物品の損害額一〇二万〇五二〇円であったが、本件建物等の正味損害額に関する鑑定結果では、本件建物につき一一八六万円、家財につき七四七万六〇〇〇円の合計一九三三万六〇〇〇円と評価されており、これに財団法人簡易保険郵便年金加入者協会の災害見舞制度による一〇二〇万円を合計すると二九五三万六〇〇〇円となる。)であり、したがって、本件火災当時においても、本件建物とその家財が全焼すれば、右同程度の金額が得られる状況にあったことが認められる。

3  本件火災発生前後の原告の行動等について

(1) 証拠(乙12、98、99、原告本人尋問〔1回〕)によれば、原告は、本件火災当時、本件建物に、参加人である妻山本月二こと白月二、長女明美、次男裕二の三名とともに居住し、長男の幸祐は昭和六三年四月から大阪に居住していたが、本件火災当時、本件建物内には誰もいなかった。

なお、原告は、その本人尋問(1回、2回)において、参加人と子供二人(長女と次男)は、長男が一か月程前(五月の連休時)にバイクで大怪我をしたのでそれを心配して本件火災の前日である昭和六三年六月一八日、午後三時一三分の新幹線で長男の住む大阪に出掛け、同日は、同人方に宿泊した旨説明するが、昭和六三年四月に入居以来同年六月ころまでの間に長男が右のような怪我をしたことを裏付ける確たる証拠はない。

(2) 証拠(原告本人〔1回、2回〕)によれば、原告は、本件火災前日(昭和六三年六月一八日)午後二時過ぎころに、飼育していた犬をペットショップ(角谷ドッグセンター)に預けたが、原告がその飼犬をペットショップに預けたのはこれが最初であったことが認められる。

(3) 証拠(乙19、27、32、33、証人有吉直樹、原告本人〔1回〕)によれば、原告は、普段、玄関前の駐車場に、玄関に向かって真っすぐに自動車を停めていたが、本件火災の前日(昭和六三年六月一八日)夜帰宅後には、その所有する軽四トラックをわざわざ玄関前に斜めに置き直したことが認められる。

(4) 証拠(乙75、原告本人〔1回、2回〕によれば、原告は、本件火災の前日である昭和六三年六月一八日午後一〇時半ころには本件建物を出て、自動車を運転して徳山市内に向かい、午後一一時前後ころスナック「冨久長」に赴き、翌一九日午前一時前ころまでには一人で同店を出て、結局、同日は午前二時半ころ徳山市内の佐野屋という旅館に宿泊したことが認められる。

なお、証拠(乙19、33、75)によれば、隣家の住人が本件火災前日の昭和六三年六月一八日午後一一時三〇分ころ、原告が自動車で出掛ける音を聞いた旨供述しているが、その時間を特定した根拠の一つとして、原告方でその出発前にシャワーを使う音が聞こえたことをあげているが、原告方でシャワーを使う音が聞こえたとする隣家の住人は、その時間を午後一〇時ころであった旨供述しており(乙75)、これにスナック「冨久長」のホステスの供述(乙75)や原告本人尋問の結果(1回、2回)を併せ考察すると、前記供述は直ちに信用できない。

(5) 証拠(乙94ないし96、97の1ないし4)によれば、平成四年一月ころの夜一一時過ぎころの時間帯に徳山市昭和通り所在の内山ビル前から本件建物まで帰るには、車を利用すれば一五分弱程度の時間しかかからず、その際にタクシーを利用してもその料金は二〇〇〇円程で足りたことが認められ、したがって、本件火災の前日(昭和六三年六月一八日)から当日にかけての夜一一時過ぎころにおいても同様であったものと推認される。

(6) 証拠(乙75)によれば、原告は、本件火災後の昭和六三年六月二二日、社会問題研究会事務所(山口県熊毛郡熊毛町所在)において、六法全書を出して調べものをしていたが、その際、澄出弘に対して、「放火は何年か」、「放火の時効は何年か」という質問をしたことが認められる。

(7) 証拠(乙52、53、証人有吉直樹、原告本人〔1回〕)によれば、原告及び参加人は、昭和六三年六月二七日から四か月近く桜田内科医院に入院し、簡易保険や生命保険の入院給付金を取得したが、この時期は本件火災に関する捜査が行われていた時期であって、原告及び参加人の入院は捜査に一部支障を来すものであったことが認められる。

(8) 弁論の全趣旨(原告と被告間においては争いがない。)によれば、原告は、本件火災について、警察に対して告訴や被害届けを提出していないことが認められる。

4  本件火災に用いられた時限発火装置等を巡る事情について

(1) 証拠(乙20、32、75、原告本人〔1回、2回〕)によれば、本件火災に用いられた時限発火装置の段ボール箱の一部は、前沢化成工業と久保田鉄工のものでスーパーなどでは扱っていない商品(水道の配管工事の際に使用する排水用VU継手が入っていた。)が入れられていたものであったうえ、これは原告宅の近隣(約二〇メートル)の岩崎水道ポンプ店でも扱っていたが、本件火災当時、同店では、通常、玄関前に空いた段ボール箱を積み上げて置いてあり、容易に持ち去ることができる状況にあったことが認められる。

(2) 証拠(乙32、75、証人有吉直樹、原告本人〔1回、2回〕)によれば、原告方(本件建物)には灯油ボイラーが設置されていたことから、中倉石油店から、昭和六三年一月二六日に一三五リットル、同年二月八日に一三〇リットル、同月二三日に、一四四リットル、同年三月四日に一〇六リットル、同月二二日に一二七リットル、同年四月一三日に一一二リットル、同年五月一〇日九四リットル、同年六月一一日に一三〇リットルの灯油を購入しており、この六月の購入時にはバーナータンクのみならず、予備あるいは冬場灯油ストーブに使用するための二〇リットル入りポリ容器三個分まで満たす量を購入していたが、本件火災後の検証が実施された際には、その予備のポリ容器の灯油については、その全部が満杯というわけではなかったことが認められる。

(3) 証拠(原告本人〔1回、2回〕)によれば、原告方においても、本件火災当時、本件火災に用いられた時限発火装置に使われた渦巻き状の蚊取線香を利用しており、各部屋に一つずつ置ける程度の量があり、マッチも蚊取線香と一緒にして、あるいは仏壇に纏めてあり、また、ティッシュペーパーも、通常、五個から一〇個程度の買い置きがあったことが認められる。

5  原告及び参加人のこれまでの保険金取得歴について

(1) 証拠(乙36ないし43、80ないし88、101によれば、原告及び参加人は、昭和五九年九月一一日に交通事故(追突)に遇い、右事故による原告運転車両の損傷は、後部バンパーが若干へこんだ程度で修理見積額も三万六八三〇円(リヤバンパーセンター交換、左サイドラバー交換、バンパーステイ左右交換)であったにもかかわらず、右事故により参加人は、一七二日間の入院と一一日間の通院により、四〇五万五五四〇円の賠償保険金の、原告も、一七二日間の入院と一一日間の通院により、四六六万九九九〇円の賠償保険金の給付を受け、また、右事故により、原告は、山口県労働者共済生活共同組合(全労済)から入院共済金として八一万円の支払を受けたことが認められる。

(2) 証拠(44ないし49、89ないし93)によれば、原告は、昭和六一年一〇月二九日に交通事故(追突)に遇い、右事故による原告運転車両の損傷は、その損傷箇所がわからない程度のものであったが、原告は、六三日間入院し、四三〇万八八八〇円の賠償保険金を受けたことが認められる。

(3) 証拠(乙85、86、89、93)によれば、右①及び②の事故で、原告及び参加人が受け取った賠償保険金(全労済の入院共済金を除く。)は、治療費を除いて六五七万一二五〇円であったことが認められる。

6  本件火災前日からの行動に関する原告の説明内容について

(1) 本件火災前日からの行動に関して原告は、昭和六三年六月一八日の午後に喫茶店「玲奈」(経営者・松村弓子)に赴き、同日午後六時ころ一旦帰宅し、その後再び喫茶店「玲奈」に赴き、同日午後一〇時前ころまでには帰宅し、そのころ妻である参加人と右松村弓子から電話があり、その日は同女とホテルに行く約束があり、その待ち合わせのために同日午後一〇時三〇分ころ、自宅(本件建物)から出発して徳山市内のスナック「冨久長」に赴いた旨説明する(甲2、原告本人尋問〔1回、2回〕)。

(2) しかしながら、原告は、昭和六三年六月一八日、喫茶店「玲奈」に二度も赴いており、右松村と話をする機会はいくらでもあったうえ、その後も同女と待ち合わせをしているのに、改めて右松村が原告方に電話をするというのは不自然であり、また、原告は、その日、スナック「冨久長」で右松村に会うことなく同店を出ているが、同店の従業員(当時)貞弘静保は、原告から女性と待ち合わせている旨聞いたり、その間に右松村から連絡があったり、同女と連絡を取り合った様子を見聞きしていないなど(乙75)、原告の説明とその行動が必ずしも整合的ではなく、前示のとおり、その後原告は、徳山市内の旅館「佐野屋」に宿泊したが(なお、費用は二、三〇〇〇円程度。乙75)、徳山市昭和通り辺りから原告方(本件建物)までタクシーを利用しても約一五分弱、代金二〇〇〇円前後であって容易に帰宅することもできたことに照らすと、その行動も不自然な面があると言わざるを得ない。

7  本件建物の敷地の登記済証に関する原告の説明について

(1) 証拠(乙27、32、105の1ないし6、112、原告本人〔2回〕)によれば、原告は、本件建物の敷地(下松市大字西豊井字中市一一一二番、宅地、167.76平方メートル)を平成元年七月に増田建設株式会社に譲渡(売買)しているが、その移転登記の際には、その土地の登記済証が使用されていることが認められる。

(2) ところで、原告は、この登記済証については本件建物台所南東角にあった電子レンジの台のところに置いてあったアタッシュケース内に保管していたが、本件火災後にそのアタッシュケースを取り出して確認したら、その登記済証は全然汚れていなかった旨説明する。

(3) しかしながら、火災時の最高温度(一一〇〇度から一三〇〇度に達する。乙112)や本件建物台所の燃毀状況(前示のとおり台所食卓付近が火元であり、本件建物内の他の部屋より台所の燃毀の程度が強い。乙27、32)ことに照らすと、原告の右説明は直ちに信用できない。

8  アリバイの主張について

(1) 原告及び参加人は、本件火災に用いられた時限発火装置では、着火から発火までに平均二時間半の時間を要することを前提にし、本件火災の発生が昭和六三年六月一九日午前一時三三分ころで、したがって、着火時間は同月一八日午後一一時ころと推定されるが、その当時、原告は、スナック「冨久長」にいたもので、原告にはアリバイがある旨主張する。

(2) 確かに、証人有吉直樹は、蚊取線香に着火してから燃え上がるまでの平均的な時間はどれくらいですかとの質問に対して「二時間半で燃焼を開始しました。」と証言するが、あくまでも平均値であるうえ、全認定の時限発火装置の構造によれば、蚊取線香の上に置くマッチ棒の位置により、蚊取線香に着火した後、マッチ棒が燃焼し、段ボール箱に燃え移らせるまでの時間を最大限六時間三〇分後までにセット可能なのであって、これらの事情に照らすと、原告に確かにアリバイがあったとまでは認められず、他に原告にアリバイのあったことを認めるに足りる証拠はない。

9  第三者による放火の可能性

(1) 本件火災が時限発火装置や延焼装置を利用した放火によるものと認められること、原告が本件建物を出たのが、本件火災前日(昭和六三年六月一八日)の午後一〇時半ころであったことは前示のとおりであるが、これを前提に原告以外の第三者による放火の可能性について以下検討する。

(2) 前示の時限発火装置や延焼装置の内容や設置状況に照らすと、①本件火災においては、単に家に火を付けるということのみならず、本件建物全体を確かに焼失させることにその目的があったものと推認され、したがってそのような動機を持ち、②しかも原告方に誰もいない夜間の時間帯に原告方に侵入して右装置をセットできる者である必要があり、また、右装置の内容に照らすと、それをセットするには、③その材料として段ボール箱数個、竹の棒一〇数本、ティッシュペーパーの箱数箱、蚊取線香や蚊取線香立、マッチ棒数十本、加えてタオルや下着類が数枚以上、鉱油系油脂が必要であり、④右装置をセットするのに必要な時間的余裕のあることが必要となる。

(3) そうとすると、仮に、右のような動機を持つものがいたとしても、前示の時限発火装置や延焼装置が相当に手の込んだ装置であることに照らすと、その放火方法を本件家屋内に侵入した後に思い付いたものとは到底考えられず、第三者が実行したのであれば、予め必要な材料の全部あるいはその一部を準備のうえ、原告方が夜間全員留守になる機会を窺っていたということになる。

ところで、

① 前示のとおり本件家屋には原告がその家族(参加人、子供二人)と暮らしていたもので、夜間、その全員が留守になる機会はそうそうあるものではなく、本件火災前日の午後一〇時三〇分ころ以降、本件家屋内に誰もいなくなったということを知ることは相当な困難が伴うものと認められること、

② 証拠(乙103の1及び2、証人有吉直樹)によれば、前示の時限発火装置一個をセットするには約一〇分ないし二〇分の時間を要し、これを四個以上セットするには四〇分ないし一時間二〇分以上の時間が必要で、あと延焼装置を設置するにも二〇分程度、ほかに外部から持ち込む材料の搬入時間や蚊取線香に着火してまわる時間等も考慮すると、本件建物に侵入して逃走するまでに優に一時間を超える時間が必要で、場合によっては二時間近い時間が必要になるものと認められるが、外部から侵入した第三者には、原告方の家人の帰宅時間を知ることは通常できず、発見されるかも知れないという危険を冒してまで準備に長時間を要する方法を採るメリットは乏しいこと、

③ 証拠(乙11、27、32、33、証人山本幸三郎、証人有吉直樹)によれば、本件建物の出入口や窓等のうち、本件火災当時施錠されていなかったのは、一階の六畳洋室の出窓、台所の出窓、7.5畳和室の天窓、一〇畳洋室の天窓であったことが認められるところ、右各天窓は、その位置や大きさに照らすと、人が出入りしたり物品を出入れするには相当な困難を伴うものであり、また、右六畳洋室の出窓については外部から侵入した形跡は、足跡、すれ跡ともになかったが(証人有吉直樹)、台所の出窓を利用して本件建物内に侵入した者の有無に関する証拠が提出されておらず、その有無は不明であること、

などの事情に照らすと、原告の外出後、第三者が本件家屋内に侵入して、時限発火装置や延焼装置をセットしたということは不可能ではないものの、実際に本件火災を発生させるには相当な困難を伴ううえ、準備に時間を要する右装置を利用して放火する理由に乏しく、前示のような本件建物全体を確かに焼失させるという強い目的や動機を持つ第三者が存在するのであれば、ある程度具体的な情報が得られても不自然ではないにもかかわらず、原告は、他人から恨みをかうことはありますかとの質問に対して「私は、手形割引をしていますので、恨まれることもあります。」と答えるのみであり(原告本人〔1回〕)、また、本件火災を捜査した下松警察署刑事課係長(当時)の有吉直樹も、原告に対する恨みを証拠づけるようなものはありましたかとの質問に対して「捜査の段階では出ていません。」と証言するなど、本件家屋に放火したことを疑われるような第三者の存在について具体的な情報が得られていないことなどを総合すると、第三者による放火の可能性は低いものと言わざるを得ない。

10  まとめ

(1)  本件火災が原告の放火によるものであることを直接に証明する証拠はないものの、

①  前示のとおり、本件火災は、時限発火装置と延焼装置を利用した放火であり、しかもその装置の内容(灯油などを利用している。)や設置状況(少なくても玄関脇一〇畳の洋室、7.5畳の和室、台所に時限発火装置があり、その装置により発生した火が広がるように延焼装置が組み合わされている。)に照らすと本件建物全体を確かに焼失させる目的・動機のもと実行されたものと認められるところ、原告の負債状況(右1。本件火災当時二〇〇〇万円余の負債があり、しかも本件火災前二か月弱の間に一〇〇万円を超える借入れを行い、本件火災当時ころに支払時期が到来していた債務の返済も滞っていた。)や本件建物等に対する保険契約の締結状況(右2。本件建物が全焼すれば、三〇〇〇万円弱の保険金等を取得できる状況にあった。)に照らせば、原告に本件家屋を全焼させる動機・目的を持たせる状況があったものと認められ、

②  原告及び参加人らの本件火災前後における行動には不自然な点があり(右3)、即ち、本件火災当時に本件建物内には誰もおらず(参加人らが長男の住む大阪へ赴く理由に関しての確たる証拠はない。)、原告は、それまで犬をペットショップに預けたことがないのに本件火災前日にはペットショップにこれを預けたこと、玄関前の駐車場に停車させてあった軽四トラックを格別理由があるわけでもないのに玄関に入りにくいようわざわざ斜めに置き直したこと、本件火災前日から当日にかけて容易に自宅に帰ることができるのに徳山市内の旅館に宿泊したこと、また、本件火災後の社会問題研究会事務所における発言内容、その後の入院や本件火災について告訴・被害届を提出していないことなど不自然な点が多々あり、

③  本件火災が原告の放火によるものか否かについて重要な関連性を有する原告の本件火災前日から佐野屋に宿泊するまでの行動に関する説明は不自然、不合理な点があり(右6)、同様に重要な関連性を有する本件建物の敷地の登記済証に関する証言は信用できず(右7)、

④  原告のこれまでの交通事故による保険取得歴においては、事故による自動車の損傷が軽微であるにもかかわらず、長期間の入院等により多額の保険金を取得するなど不自然な点があり(右5)、

⑤  本件火災が原告以外の第三者による放火である可能性は低く(右9)、反面、原告に確たるアリバイがあるものとは認められず(右8)、本件火災に用いられた時限発火装置と延焼装置は、原告方にある物品や原告方付近で容易に入手可能な物で構成されており、原告が右時限発火装置や延焼装置を準備することは容易であったうえ(右4)、その装置の内容に照らせば、原告が昭和六三年一〇月一八日午後一〇時三〇分ころ自宅(本件建物)を出て、翌一九日午前一時三三分ころ本件火災が発生したとしても何ら矛盾しないこと、

などを総合考察すれば、本件火災は、原告が時限発火装置と延焼装置を準備のうえ行った放火によるものと推認するのが相当である。右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) そうとすると、その余について判断するまでもなく、原告の被告に対する請求は理由がなく、また、参加人の被告及び原告に対する請求も理由がない。よって、主文のとおり判決する。

(裁判官坪井宣幸)

別紙一 建物見取図及び収容物配置図〈省略〉

別紙二 延焼媒介物状況詳細図Ⅰ〈省略〉

別紙三 延焼媒介物状況詳細図Ⅱ〈省略〉

別紙三 延焼媒介物状況詳細図Ⅲ〈省略〉

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